中国語圏の国の現地校に通う人の大学受験についてvol.4―帰国生大学入試についてvol.68―

(2012年3月1日 15:55)

こんにちは。SOLの余語です。
前回の記事では、中国や台湾といった中国語圏の国の現地校において中国語を使った授業を中心とするカリキュラムで履修している人が滞在地でしておくべき受験準備として、よい小論文を書くための「素地」を形成しておくことを挙げました。現在の小論文試験における出題傾向を考えると、日本語で書かれた文章の読解力が「素地」の一つとなりますが、今回は「どのような問題に関しても、簡単に結論に飛びつかないための忍耐力」についてお話ししたいと思います。


小論文試験に臨むまでに身に付けておくべき資質として、時事問題や一つ一つの学問分野において重要な論件と考えられていることに関する知識が多く頭の中に入っていることや、また現在それについてどのような議論がなされているのかについての理解が十分であることなどが挙げられることがあります。確かに、知識量が多いことは小論文の内容を充実させることにつながるので大切なことだと思われますが、高校卒業後から受験までには(秋入学の大学と、例外的に早い早稲田大帰国生入試を除いた場合)少なくとも3ヶ月強という期間があり、そこで受験準備をしっかり行っていれば、小論文試験で必要とされる知識は自然と習得することができるのが一般的です。


一方、上で述べたような「忍耐力」は人によって短期間では習得にしにくいものですが、小論文が学術誌や言論誌で目にすることのできる「論文」の字数の短い(600字~1,200字)ヴァージョンであり、そこで展開しようとする主張に見合った論拠を中心的な内容にしなければならないということを考えると、よい小論文を書く際に極めて重要なものだと言えます。社会問題などに対する特定の考え方について、自分のこれまでの生活体験や見聞きしたことに照らして「当然のこと」と即断したり、世間で説得力のあるものという位置づけをなされているから、その有効性について検討することもなく、それを記憶しておいて小論文の中でなぞり書きをすればいいと考えたりするようでは、一貫した方向性を持ち、具体例を伴うことなどで読み手に理解してもらいやすい論拠を提示しようという気持ちになることすら難しくなるはずです。


このような「忍耐力」は通常、生活体験を重ねたり、自分が何気なく「正当性のあるもの」と考えていた価値観などが通用しない場面に出会ったりすることによって徐々に身に付いてくるものです。例えば、このブログを読んでいる未成年の人の中には、日本に帰国した際などに携帯電話の契約をしようとして、保護者の承諾を求められたという経験をした人がいると思いますが、その背景には20歳以下の人はまだ「忍耐力」を十分に有していない段階にあるという社会一般の認識があります(20年ぐらいの期間があれば、十分な生活体験の蓄積や「忍耐力」を身に付けるのに必要な経験をする可能性が高まることを期待できると想定されているわけです)。


ただし、これは能力全般に言えることだと思いますが、10代の後半であっても十分な「忍耐力」をすでに身に付けている人は少なからずいますし、小論文試験対策の学習をしていく中で一つの事柄について粘り強く考えることができるようになる人もいます。このような人は小論文試験でよい答案を書くのに必要な論述力をスムーズに習得できますし、受験における成果も充実したものになると考えられます。


一方で、大学受験生の大半は17~19歳という「大人」と「子ども」の狭間にいることを考えると無理もないことだと思われますが、どれだけ小論文を書く練習をしても、自分が主張しようとする見解について論拠を提示することに困難を感じるというケースがあるのも確かです。進路指導も行う僕らの立場からすると、このような人に小論文試験の出来だけで勝負するという選択をすることを十分な確信を持った形で勧めることは難しいことですし、受験生本人も自信を持って試験に臨めていない場合が多いので(自分の答案への評価が他の人のものより低いことは簡単に確認できますので)、実際の成果も芳しくないものになる可能性も高くなります。


小論文試験のみを学科試験とする大学を中心に受験を進めていくのであれば、目の前にある問題について結論が出ない不安定な状態に耐える能力を習得するための取り組みをしておくことが望ましいでしょう。次回は、具体的にどのようなことをすべきかということについて、1つ提案をしたいと思います。


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